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最近、何やら新しい感染症がはやり始めている。薬もワクチンもまだ開発されていないために、ロックダウンとはならなくても緊急事態宣言が発令されたりして飲食店は大打撃だ。
まぁ、当店は昔から暇な店なので影響は少ないと思っていたが、いつもの常連さんも気を付けているのか全然顔を出さなくなった。当店も大打撃だ。いったいいつまで続くのだろうか。

こんな状況の中、今日は蒸留家と称し独立して、クラフトジンの蒸留所を立ち上げた方から20時に予約が入っている。そろそろお見えになるころだ。
入口の重たい扉に付いたドアベルの音が「カランカラン」となった。

『こんばんは。今日はすみません。こんな状況の中で…』とオレンジ色のポロシャツを着て、黒いマスクを付けた男性が入ってきた。
「どうぞ、こちらへ。」とカウンターの一番奥の席を案内した。
『いやな感染症が流行ってますね。佐賀も影響が出始めましたね。』
「そうですね。うちは暇なうえに人が動かなくなると、自家消費ばかり増えて大変ですよ。」
と口元に笑みをつくり話したが、私もマスクをしていた。

『初めまして。今日は、やっとできた佐賀初のクラフトジンをお持ちしました。ぜひマスターに飲んでいただきたくて。』
「それはそれは、ありがとうございます。」

現在、国内ではウイスキーの新規蒸留所も増えているが、クラフトジンもそれに劣らず増加している。大手メーカーから、日本酒や焼酎製造業者も、またウイスキー蒸留所も3年で最初のウイスキーが出来るまで、ジンを造るところが多いようだ。そして、つい最近、佐賀にも一人で独立し小さな蒸溜所を立上げて、クラフトジンの製造を開始したという話しを聞いたばかりだった。

『これです。』
「いい感じのボトルですね。ラベルもかわいいし、オレンジ色が効いてますね。」
『オレンジは、オランダの色なんですよ。』と満面の笑みだと分かるマスク顔で、話しが続いた。
『佐賀、特に幕末佐賀藩は、オランダと深い関係があるんです。当時出島を警護していた佐賀藩は、オランダと交流し、その技術をいち早く取り入れたり、蒸気船を輸入して技術を調べ上げて、日本初の蒸気船‟凌風丸“を完成させたんですよ。』

「はい。知ってますよ。維新博でも分かりやすく紹介されていましたね。と、このジンは何か関係があるんですか?」

『実は、会社を立上げて、直ぐにオランダに行ってきました。オランダの蒸留器が使いたくて...』
「オランダの技術を使うということですね。」
『はい。』
「なるほど、佐賀初クラフトジンは、幕末佐賀藩のストーリーと被るということですね。」
『そ、そうなんです。』と少し声が大きくなり、マスクの上の目はキラキラ輝いていた。
『一人で仕込から蒸留まで何でもやります。おそらく日本一小さい蒸溜所だと思います。』
「ジンと一緒に物語もつくっていくということですね。素晴らしいと思います。」

『ありがとうございます。で、出来たばかりのジンをちょっと飲んでみてください。』

棚から、グラスを2個取りだしてボトルを握りしめ、ゆっくり注ぎ分けた。真珠色に輝く液体がグラスへと落ちていく。

「香りはおだやかですね。おぉ、飲むとシッカリとジン特有のジュニパーベリーの香りと味が感じられますね。後口は、甘さというかなんかうま味が感じられますね。」
『そうなんです。一般的なクラフトジンは辛口なのですが、このジンは甘さがありそれがうま味として一つの特徴となっています。』
「確かに。」
『さっきの話ですが。佐賀藩がつくり上げた蒸気船には、オランダの技術と佐賀独自の技術も入っているんですよ。』
「というと、オランダの蒸留器と造り手の技術が融合していると…」
『はい。そうなんですが、もう一つ佐賀の素晴らしい技術が入っているんです。』

「このうま味ですか。ずっと気になっているんですよ。不思議と飲み飽きないジンだなぁと。」
と話したあと、さらに目がキラキラと輝いたように感じた。

『やはり、マスターはすごいですね。気付いてくれましたね。嬉しいです。』

「もう一つの答えは日本酒ですか!」
『その通りです。佐賀は日本酒文化が定着していて素晴らしい蔵元がたくさんあります。その蔵元さんにお願いして、純米吟醸酒でベース用のスピリッツを造ってもらい、それにボタニカルを漬け込んで、オランダ製の蒸留器で再蒸留し佐賀の名水で割水して、アルコール度数45度の商品にしています。』

「佐賀がいっぱい詰まったジンですね。それに想いもいっぱい詰まってますね。」
『ありがとうございます。佐賀が好きなんですよ。』

「私もです。」

『このジンを基本に、面白いものを造っていきたいと思っています。ただ、ジンというとキリっとした爽やかな辛口というイメージが一般的なので、このジンが浸透して行くには少し時間がかかりそうです。』
「私も、協力しますよ。うま味のある飲み飽きないジン、カクテルにしなくてもウイスキーと同じように楽しめるジンだと思います。」

『今日は、早い時間からすみませんでした。この1本は置いていきますので、ぜひお客様に試飲していただくとありがたいです。』
「かしこまりました。一人いるんですよ。」
『ぜひ、その方にお勧めしてください。では、これで失礼します。今後ともよろしくお願いします。』

と帰られ、扉のドアベルの音が小さくなっていった。
いつもの常連さんはハイボールしか飲まないし、このジンが分かるかなぁ。と頭の中で考えていた時、またドアベルの音が鳴った。

『やぁ、こんばんは!』
「おぉ、いらっしゃい。今、あなたの事を考えていたところですよ。」
『フラれて、ハイボールしか飲まない変な客だってことでしょ。』
「あ、た、り。」

変な感染症が広まってきてから、初のご来店であるいつもの常連さんだ。いつもの入口に近いカウンターの隅にマスクを付けたままで腰を下ろした。

「手指の消毒もお願いしますよ。」
『ちゃんと入口でしましたよ。』
と平常のお店では言わない言葉を、最近は挨拶のように言うようになってしまった。

「いつも、いいタイミングでご来店しますね。」
『というと、何か新しいウイスキーが入ったということですね。』
「ちがいます。ウイスキーじゃないですよ。」

と会話をしながら、佐賀初のクラフトジンをストレートで、いつもの常連さんのコースターの上に運んだ。

「どうぞ。」
『ス、ストレートですか!しかも透明なヤツじゃないですか。僕の体の中まで消毒しろと言ってるんですか。』

「まぁ、飲んでごらんよ。」
『おぉ、ジンですか?』
「見直しましたよ。これが分かるとは。」
『でも、少し甘いよね。お米のうま味みたいな...』
「な、なんとそこまで分かるとは!これはね、最近発売された‟スティルダムジン・スタンダード“という佐賀初のクラフトジンなんですよ。」

『オレンジ色に、昇開橋をデザインしたかわいいラベルですね。』

「このジンはね、小城の蔵元の純米吟醸酒が使われていて、昇開橋の近くに新しく出来た蒸溜所で造られているんですよ。」

『いいね。マスター、この味好きです。今度からこれでハイボールを造ってくださいよ!』
「は、はい。ソーダ割りね。それもいいかもね。」

『なんか、僕も変われそうな気がしてきました。今までマスターから無理やり飲まされていたハイボールから、このジンに変えます。そして、新しい彼女を見つける。いや見つかるような気がしてきましたよ。』

「このジンで、見つかるかな?」
『見つけますよ。彼女を、素敵な佐賀美人(ジン)を!』
「ちょっと、ダジャレ!今のこの時期、大声を出さないでください。他にお客さんがいないからいいけど。」

『はいはい、ちゃんとマスクしてるからいいでしょ。』
「ダメです。」

「遅いなぁ」とBARには珍しく三つもある時計を見渡して、独り言を言っていた。
10時には来ると昨夜電話でそう言っていたはずなのに、と少しイライラとどこか緊張しているようで落ち着かない。何年振りだろうか、いつもカウンターの決まった場所に座り、ハイボールしか飲まない、いやハイボールしか知らないのだろう“いつもの常連さん”ちゃんと指定席は空けて待っているのに…。
と、時計を何度も見ながら、思いを募らせていた時に、ドアがゆっくりと開く音がした。

『こんばんは…。』と確かに聞き覚えのある声に入口の方を向いて声を返した。
「いらっしゃいませ!」
『マスター!』
「おぅ…。お、遅かったじゃないですか!」
『良かった。安心しましたよ。元気そうで、そして、開いててよかった。』
「約束は10時だったはずよね。」
『まぁ、いいじゃないですか。久しぶりに佐賀に帰ってきたんだし、佐賀時間ですよ。』
「相変わらずだね。だから、彼女にフラれるんですよ。でも、ホッとしましたよ。変わってなくて…。」
『店…。閉まってしまったんじゃないかと、心配してましたよ。』
「ありがとうございます。余計なお世話です。お客様は、あなただけじゃないから大丈夫ですよ。」と、久しぶりのこのやり取りで盛り上がり、いつもの常連さんは、もう、コースターがセットされているいつもの席に座り、予定通りのハイボールのオーダーである。

バック棚からいつものウイスキーを取り、カウンターに置いた。そして、グラスを二個用意し、それぞれに氷を入れ、ハイボールをつくり、一つは、コースターの上に運び、もう一つは自分で持って、カウンターの隅へ動いた。

「乾杯といきますか!」
『マスターも飲むの?』
「あたりまえじゃないですか!今日はあなたのために貸切です。」
『そ、そうなの。じゃぁ、乾杯!』
「乾杯!」
『で、何に乾杯だっけ?僕は、フラれて帰ってきたし、この店は暇でつぶれそうだし…。』
「もう!あなたとわたしの物語がまた始まることにですよ。」
『どういうこと…。』
「まぁ、いいじゃないの。」
そう返し、少し顔がほころんでる自分と、ニコニコ顔のいつもの常連さん、そして、あの頃の空気にいつしか戻っているような気がしてきた。BARは人で空気が変わるもの、その空気をうまくコントロールするのもバーテンダーの仕事の一つだと教わったのも思い出した。
「ところで、あの彼女とは、どうなったの?フラれたとか言っているけど。」
『彼女は、忙しいのが好きなんですよ。そのペースを乱したくないし、楽しそうに仕事している姿が好きなんですよね…。だから、僕から…。』と言いかけた時に、扉が開く音がした。
「いらっしゃいませ!」と入口の方を向いて、頭を下げて声を出した。一人の女性がゆっくりと入って来た。
『まだ、大丈夫ですか?もう、閉店じゃ…。』
「いえいえ、まだ、大丈夫ですよ。」とカウンターの常連さんとは反対の隅へ案内し、オシボリを渡し、コースターを置き、メニューを差し出した。

『あのう、マルスウイスキーの“ラッキーキャット”はありますか?』
「はい。ありますよ。」
『それを、ハイボールにしてください。』
「はい、かしこまりました。」

バック棚から、ラベルにネコの写真が描かれているボトルを取出した。これは、信州マルス蒸留所から1,200本限定で発売されたブレンデッドウイスキーで、ポートワインとマディラワインの空き樽に2年間後熟したものをヴァッティングしたものだ。甘くエキゾチックな味わいが特徴的なウイスキーだと言われている。

「はい、どうぞ。」と、そのウイスキーでつくったハイボールを女性の前のコースターの上に運んだ。
『あぁ、美味しい…。甘さがあって、香りもよくて。ありがとうございます。』
「どういたしまして。ところで、どうしてこのウイスキーを?」
『私、ネコが大好きなんです。たまたま、ネットで見つけて、飲んでみたいなぁと思って、ここならあるんじゃないかと。』
「そうでしたか。よかったですよ。もう少しで無くなるところでした。」そう言った後に、もう片隅の方へ身体を向けた。

「すみませんね。ほったらかして。」
『昔から、そうじゃないですか。久しぶりだというのに。まったくですよ。』
『マスター。そのネコのウイスキーで僕にもハイボールをちょうだい。』
「ご、ごめんね。もうほとんど入っていないんですよ。」とそのボトルを、いつもの常連さんの前に置いた。
『マスター。あと一杯分ぐらい入っているじゃないですか!』
「これは、テンシュノトリブン。」
『天使の取り分?』
「違いますよ。“店主”の取り分!」
『なんですか!お客様ですよ。僕は!』
「これが、私の楽しみなんです。我慢しなさい。」
と、いつもの常連さんとカランでいるときに、女性から声が聞こえた。

『マスター、ご馳走様でした。飲めてよかったです。』と言った後に、大きく息を吸って、また、口が動き始めた。
『実は、今年いっぱいで仕事を辞めて、結婚するんです。』
「それは、おめでとうございます。」
『ただ、彼はサラリーマンですが、実家が喫茶店をやっていて、その店を手伝うことになっているんです。それに、少し迷いがあって、でも、決めました。喫茶店で頑張って、“ラッキーキャット”になろう。て…。』
「なれますよ。きっと、幸せの招き猫に…。」
『ありがとうございます。』
「こちらこそ、ありがとうございました。」と、女性を扉の外まで見送り、カウンターの中に戻った。

『マスター!飲ませてくださいよ。』といつもの常連さんから声が飛んできた。
「ちょっと待って、確かさっき、何か言いかけてなかったっけ。」
『もう、忘れました!それより、気付いてくださいよ。僕がこの店の招き猫なんですよ!昔も今も…。』
「そうかもね…。」

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今日はなんだか落ち着かない。そう、皆様もお気づきでしょう。いつもの常連さんが彼女を連れて来る日なのです。
『ありがとうございました。』とお客様を見送り、誰もいなくなった店内に戻った。洗い物を下げて、カウンターの中に入った。時計は9時半を回ったところだ。そろそろかと深く呼吸をした時に、扉が開く音がした。

『いらっしゃいませ!』とその音の方へ声をかけた。
「マスター!こんばんは!」といつもの常連さんが元気よく現れ、その後に女性が「こんばんは・・・。」と小さい声を出して入って来た。
『初めまして・・・。』といつもの常連さんの隣に座られた女性に挨拶をした。
『この日をお待ちしてましたよ。』
「初めまして。マスターの事は色々と聞いています。」
『そ、そうですか。で、お飲み物はどうしましょう?』と二人に声をかけた。
「マスター!シャンパンを・・・。」と常連さんが声をかけ、目で合図も送って来た。
『はい。』と返事をし、あのグラスと常連さんのグラスをカウンターの上に並べた。冷蔵庫から冷えたシャンパンを出し、針金を緩め、音がしないように丁寧にコルクの栓を開けた。そして、静かにグラスに注ぎ、二人のコースターの上に運んだ。
「マスターもどうぞ!」と常連さんから声がした。
『ありがとうございます。』と答えてグラスにシャンパンを注いだ。
「それでは、乾杯しましょう。マスター!ひと言、お願いします。」
『では、お二人が結婚できますように!』
「な、何を言い出すんですか。まだ、そんな、今からなんですよ。もう・・・。」と少し慌てながらも嬉しそうな顔がそこにあった。
『はい。では、“カンパイ!”』
「かんぱ〜い!」と上機嫌の常連さんに続いて「カンパイ!」と声が聞こえ、グラスの“カチッ”とあたる音がした。
「美味しい! シャンパンは、最高だね!」と常連さんから声がした後、しばらく二人の前から外れ、洗い物のグラスを吹き上げた。そして、シャンパンが空になるのと同時に声をかけた。
『そうそう、そのグラス、お預かりしていた物です。名前と同じイニシャル“M”が刻まれていますよ。』と女性に言った。
「あっ!」「ありがとう!」と女性は常連さんの方へ顔を向け、また声がした。
「あら?あなたのグラスには、“H”が・・・。」
「えっ!あっ、ホントだ!」
『気付いてくれましたね。』
「これって、僕の名前?」
『そうです。彼女と同じグラスに刻んでもらいました。私からのプレゼントです。』
「ありがとうございます!」
『ところで、お代わりはどうしましょう?』
「僕は、やっぱり、ハイボール!」
「私は・・・。」
『あっ。Mさんには、私からカクテルをプレゼントしますよ。』
と返事をし、バック棚を見渡し、ハイボール用のウイスキーとコアントローを取り出し、冷凍庫からウオッカを冷蔵庫からクランベリージュースを出してカウンターの上に置いた。そして、ライムを搾りその横に並べた。
シェーカーを取り、材料を入れて準備をした。先に常連さんのハイボールをつくってコースターの上に運んだ。そして、冷やしておいたカクテルグラスを出し、シェーカーに氷を入れて素早くシェイクし、グラスに静かに注いだ。
『はい。どうぞ。』と彼女のコースターの上へ運んだ。
「奇麗な色ですね。さっぱりしてて、美味しい。名前は何ですか?」
『“コスモポリタン”というカクテルです。』
「あっ!これ、飲みたかったんですよ。アメリカのドラマの中に出て来たのを憶えています。」
「へぇ〜、有名なんだ・・・。」と常連さんの声がした。
『世界的に有名なカクテルなんですよ。』
「ですよね。」と今度は女性から声がした。
『Mさんが、お仕事でいろんな国へ行かれていることを聞いていました。だから、なかなか会えないって・・・。コスモポリタンは、国際人という意味だそうです。』
「国際人ってほどじゃないんですけど、好きなんです。海外の仕事。」
「マスター!私、ここに来てよかったです。この店の良さが分かりました。“親父ギャグ”だけじゃなかったんですね。」
『えっ、そんな事を言ってたんですか!あなたは!』と常連さんに顔を向けた。
「スミマセン・・・。」と低い声が聞こえ、女性からまた声がした。
「暖かいですね。この店。彼が通うのがわかるような気がします。」
『そんな、たいしたことはないですよ。』
「私も、一人で来ようかなぁ・・・。」
「ダメダメ!僕と一緒です。」
『お互いのペースを崩さない程度がいいんですよ。それに、いつも一緒だと、私の居場所がないし・・・。』
「マスター!ホントは寂しいんでしょ!」
『ち、違いますよ!』
「二年間のマスターを見てたら分かります!」
『そろそろ、閉店の時間みたい・・・。』
「まだでしょ!」

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2009年が終わり、新しい年になってひと月が過ぎた。いつもの常連さんは、相変わらず同じ席でハイボールを飲んでいる。しかし、今までと一つだけ違うものがある。それは、その常連さんに同級生の彼女が出来たらしい事だ。
「マスター!ハイボールお代わり!」
『はい、はい。分かりましたよ。そんなに大声を出さなくても・・・。』
いつになく元気な常連さんにちょっと釘を刺して、お代わりのハイボールをつくり空のグラスと取り替えた。
『はい。どうぞ。』
「あ、ありがとうございます。」
『今年は、いい年になるんじゃないの。元気な顔を見てるとそんな感じがするよ。』
「でしょう!」と会話が弾んでいる時に扉が開く音がした。

『いらっしゃいませ!』と入口のほうへ声をかけた。
「こんばんは!二人ですけどいいですか?」と女性のお客様が入って来られた。
『どうぞ、こちらの方へ』とカウンターの左隅を案内した。そして、お二人にオシボリを渡し、コースターを前に置いた。
「“BAR”という看板に引かれて入って来たんですけど、カクテルも飲めるんですよね・・・。」と一人の女性から声がした。
『はい。カクテルはメニューがございますよ。』と答えて、二人の間にメニューを置いた。
「こんなにたくさんあるんですね。何を注文したらいいか全然わからないです。」
『好みなどをおっしゃっていただければ、こちらで選んでおつくりすることもできますが・・・。』
「これなんかいいんじゃない!ジンベースの・・・。」
「ほんと!ステキな名前ね。これにしようか。」
『お決まりですか。』
「このジンベースの“ブルームーン”を二つ下さい。」
『かしこまりました。ブルームーンを二杯ですね。』と返事をして、バック棚からバイオレットのリキュールを取り出し、冷凍庫からジンを出してカウンターの上に並べた。それからレモンを1個搾ってその横に置いた。
いつもよりは大きいシェーカーを取り、二人分ずつの材料を中に入れた。
冷して置いたカクテルグラスを二つカウンターの上に並べ、シェーカーの中に氷を入れ、ストレーナー、トップを重ねてすばやくシェイクする。
いつもの常連さんの空のグラスの音を消すように、店内にシェイキングの透き通るような音が響き渡った。
そして、そのシェーカーから二つのグラスに均等に注ぎ分けられたカクテルを女性の前のコースターの上に静かに運んだ。
『はい。どうぞ。“ブルームーン”です。』
「うわぁ!キレイな色!それに花の香りがするし・・・。」
「美味しい!」
「ホント・・・。」と二人から声が聞こえた後、常連さんの空になったグラスを下げて新しいハイボールをつくって運んだ。
『すみませんね。ほったらかして・・・。』
「もう、慣れてますよ。ところで、あんなに若い女性が二人でご来店とは、珍しいですね。」
『ホントですね。』と返事をして、女性のほうへ戻った。

「ブルームーンってステキな名前ですね。」と女性から声がした。
『先月は、満月が2回あったのをご存知ですか?』
「えっ、1月ですか。」と二人、首を傾げながら顔を見合わせていた。
『月に2回満月が見れることはとても珍しいことで、その2回目の満月を“ブルームーン”と言うんですよ。』
『そのブルームーン(2度目の満月)に願い事をお祈りすれば叶うと言われているんですよ。』
「ホントですか!へぇ~、マスターって、ものしりですねぇ。」
「願い事、お祈りしたかった。ねぇ・・・。」
『私が知っているのは、お酒のことだけですよ。』
「私たち成人したばっかりで、今日はBARデビューなんです。なんだか大人になった気がしました。ねぇ。」
「そうねぇ。今日はこの一杯で帰りますけど、また、来てもいいですか?」
『はい。またお待ちしております。ありがとうございました。』と扉の外まで見送りをした。

「マスター!」とお決まりのごとく常連さんから声がした。
『はい。なんでしょう。』
「ブルームーンって神秘的だね。」
『ホントですよ。あなたに彼女が出来たのと同じぐらい神秘的だね。』
「そうなの?」
『月に2回来る満月のことだけど、言い換えると“珍しい出来事”という意味なんだって。』
「二十歳の女性二人も、この店には珍しいよねぇ。」
『まぁ、それもだけど、あなたが彼女を連れて来ることが、今年一番の珍しい出来事になると思うよ。』
「ちょっと、大袈裟じゃない!」
『最終回なんです。次回で・・・。』
「えっ、そうなんですか!」

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「マスター!」といつもの角の席から声がした。
『はい。お代わりですか?』
「それもだけど、マスターの血液型って何型なんですか?」
『お店を見れば分かるでしょ!典型的なA型ですよ。』
「やっぱりねぇ。だから僕と相性がいいんだ。僕、O型なんですよ。」
『そ、そうなの・・・。』と返事をしながら、お代わりのハイボールをつくって常連さんの、空のグラスと取り替えた。
「実はね。MちゃんもA型なんですよ。」
『良かったじゃない。相性が良くて。』と話しを返した時に、また扉が開く音がした。
『いらっしゃいませ!』と入ってきた一人の女性に声をかけた。
「マスター、こんばんは!」と声が返ってきた。
『あら、今日は、お一人ですか?』と話しながら、真中あたりの席を案内した。

「遠征試合で、こっちにいないんです。」
『そうそう、新聞見ましたよ。勝ちましたね。それも逆転勝ちでしたね。』
「はい!その報告に来ました!ホントは一緒に来たかったんですけど・・・。」
『ところで、お飲み物は?』
「もちろん。あの時、彼が飲んだものと同じのを。」
『かしこまりました。』
と返事をして、銅製のマグカップを用意し、冷凍庫からウオッカを出して、カウンターの上に置いた。8分の1にカットしたレモンを準備し、トニックウォーターと炭酸も一緒に並べた。

カクテルをつくりながら、先週末に二人で来られたときの事を思い出していた。
たまにお見えになるカップルで、彼がハンドボールの選手だという事は以前に教えてもらっていた。
「マスター!最近、勝てないんですよ。次の試合は、大事な試合なんです。勝ちたいんです。」と話しを聞きながら、お奨めのカクテルをお出しした。
『このカクテルはスカイボールという名前なんですよ。何か、ハンドボールのボールが飛んでるみたいな名前でしょ。』
「へぇ、スカイボールですか?サッパリしてて美味いなぁ。」
『このカクテルを飲んで試合に挑めば勝てるかも。そういうジンクスが誕生すればいいですね。』
と、あの時話していた。そのカクテルは、マグカップにレモンを搾りウオッカを入れ、トニックウォーターと炭酸を半々注いで軽くステアしたものだ。

出来上がったカクテルを彼女の前のコースーターの上に置いた。
『はい、どうぞ。“ジンクス”のスカイボールです。』
「あぁ、ホントに爽やかで美味しい!」と声がした。そして、すぐ続けてまた声が聞こえた。
「ホントにジンクスになったかもしれませんね、マスター!逆転勝ちですよ。彼も涙が出るくらい喜んでました。もう、私も嬉しくて嬉しくて、勇気だして一人で来たんです。」
『わざわざ、ありがとうございます。完全なジンクスとは言えないけど、嬉しいですよ僕も。』
「たぶん、また、ホームでの試合の前は、二人でスカイボールを飲みに来ると思います。」
『分かりました。応援してますとお伝え下さい。』
「はい。伝えます。では、今日はこれで失礼します。」
『ありがとうございました。』
「実は、いつもは運転手で飲めなかったけど、遠征試合なので、代わりに私が飲みに来たんですよ。ジンクスを信じて・・・。」
『そうでしたか。きっと勝ちますよ。』と返事をして外まで見送りをした。

店の中に戻り、空のマグカップを下げ、いつもの常連さんの方を向いた。
「お代わりお願いします!」
『ほったらかして、スミマセンね。すぐつくります。』と洗うのをやめ、ハイボールをつくって常連さんの席の前に行き、空のグラスを下げて、コースターの上に運んだ。
『はい。どうぞ。』
「ねぇねぇ、さっきのジンクスの話だけど。」
『えぇ、血液型じゃなくて、今度は、ジンクスですか!』
「いやね、なんかその、この店に彼女を初めて連れて来て、二人でこのカクテルを飲めば、幸せになれる。というようなジンクスはないの?」
『ないね!』
「もう、そんなにあっさり言わないでよ。もうすぐ、Mちゃんと一緒に来るんですよ。」
『ないね、でも、一つだけ言える事があるよ。』
「なになに。」
『“角の席に、男性が一人で来て、ハイボールを飲むと、その日は暇になる。”というのが・・・。』
「えぇ、ぼ、僕じゃないですか!」
『はい。』