うっとうしい梅雨があけ、7月になった。
今日は、珍しく7時の開店とほぼ同時に、お客様が入り、いつの間にかカウンター9席しかない、小さな店が満席になった。やっと9時近くになり、その忙しさから開放され、さっきまで賑やかさでほとんど聞こえていなかったBGMがはっきりと聞こえ、いつもの空気に戻っていった。
残された洗い物を片付けながら、そろそろいつもの常連さんがお見えになるころだと考えていた。
『いらっしゃい!やっぱりこの時間だね。さっきまで、忙しくてね。席が空かなかったらどうしようと思ってましたよ。』
「へぇ・・・。珍しいね。この店は僕でもってると思ってたのに・・・。」
『あなただけだったら、20年も続いてないよ・・・。』
『ところで、いつもので?』
「はい、はい。」
洗ったばかりのグラスに氷を入れ、ウイスキーを注いで、ソーダを加え軽くステアし、常連さんのコースターの上に運んだ。
『そうそう、今日は7月7日、七夕だよ。願い事・・・、書いてないよね。』
「書いたことがないよ!」
『だと思って、行きつけの喫茶店に七夕飾りが準備してあったから、あなたの分も書いときましたよ。』
「何て書いたの?」
『決まってるでしょう。“今年こそ彼女ができますように・・・。”って』
「余計なお世話だよ。」
と、常連さんとやり取りをしてる時に、扉の開く音がした。
珍しく女性一人のお客様である。それも、目の覚めるよう美しい女性だ。
『いらっしゃいませ!ど、どうぞこちらへ』とご案内し、オシボリを渡し、コースターをその女性の前に置いた。
「一年ぶりぐらいかしら・・・。一人ではなかなか来れなくて・・・。」
『そういえば、昨年もお一人で・・・。覚えていますよ。ちょうど七夕でしたからね。』
「そうですね。」
『で、何になさいますか?』
「シャンパンが好きなんですけど・・・。」
『かしこまりました。』
と答え、冷蔵庫から冷えたシャンパンとカシスのリキュールを出し、シャンパンを音がたたないようにゆっくりと開けた。
背の高いシャンパングラスをカウンターの上に置き、カシスを少し入れ、シャンパンを静かに注いで、軽くステアしたら出来上がりだ。
シャンパンの無数の泡は切れることも無く立ち上る。まるで七夕の夜空の“天の川”みたいだ。
それにカシスでちょっと甘さと色を付けたこのカクテルは女性に人気である。
『はい!どうぞ。キールロワイヤルです。』
と言って、女性のコースターの上に静かに運んだ。
「うん!美味しい!それに、この透き通った赤い色も素敵ですね。」
と微笑み、立ち上る泡を見つめていた。
1年ぶりの魅力的な女性のご来店で、常連さんのことをすっかり忘れていた。
「マスター!」と言う男性の声にドキッとして常連さんの方へ顔を向けた。
「お代わり!とっくに空になってるのに気付いてくれないんだから・・・。」
『すみません。居るのを忘れてました・・・。』
「もう!どうでもいいけどさ・・・。」と言った後は小声に変わって、話しが続いた。
「と、ところで、すごく奇麗な人だね。何か、一目惚れしそうだよ!願い事が叶いそうな気がする・・・。」
『それは無いよ・・・。』と同じように小声で返し、その女性の方へ身体を向けた。
「マスター!美味しかったです。また、来年の七夕に・・・。」
『ありがとうございます。お待ちいたしております。』と伝え、扉の外まで見送った。
またしても、いつもの常連さんと二人になってしまった。
「マスター!」
『はい!お代わりでしょう!』
「お代わりもだけど、さっきの女性、紹介してよ!」
『それが、名前も何も聞いてないから、分かりませんよ!分かってても、紹介出来るわけないでしょう!』
「そこを、なんとか・・・。」
『だめです。今日だけの“たなぼた”だと思って下さい。』
「えっ!“七夕”じゃ無くて、“タナボタ”ですか!」
『でしょ・・・。』